1972-03-17 第68回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
ところが、アメリカのこの目的からしまするならば、これは耐乏訓練です。孤独の訓練をしようというわけです。そうしますと、使用するのはわずか数日でございましても、あそこに人間が住んでおったら、あるいはあそこで仕事がもしされておりましたならば、このアメリカの訓練の目的にならないのです。無人島の中に数日間置くという耐乏訓練をする目的のために借りております。
ところが、アメリカのこの目的からしまするならば、これは耐乏訓練です。孤独の訓練をしようというわけです。そうしますと、使用するのはわずか数日でございましても、あそこに人間が住んでおったら、あるいはあそこで仕事がもしされておりましたならば、このアメリカの訓練の目的にならないのです。無人島の中に数日間置くという耐乏訓練をする目的のために借りております。
○安里委員 もうめんどうくさいから私申し上げますが、一番初めになされたのが一九六四年九月から、しかもそれはたった一年間の問題、爆弾を使わない、実際の問題は耐乏訓練だということで、六四年の九月一日に契約をされました。しかし、それはあくまでも一年限りのものだったと思います。そして翌年さらにまた一年間の契約。しかし、六四年度も六五年度も実際は使われておりません。したがって、一文の地料も入りません。
ただ五、六日耐乏訓練、ということは無人島になっておるものだから、アメリカの兵隊を無人島に置いて、そうして耐乏訓練をするというだけのものなんです。
それが何日間か耐乏訓練、耐寒訓練ができる。米軍の輸送機が飛んでそれでおりてくるのですよ。ただ単にスキー訓練ではないのです。
百八十八万坪というから、あるいは山の中におりて三日間か四日間、あるいは寝袋だけ持って、そこで自分で飯をたく、あるいは雪を溶かし、いろいろそういう耐乏訓練をやるのかもしれない。どこの部隊なのかということは、とにかく明らかにしておかなければならない。これは第五空軍なんですか。第五空軍傘下における部隊なのか、どうなっているのですか。
○横路委員 それでは、先に調達庁の関係者にお尋ねしたいのですが、一月八日から二月三日まで二十七日間、北海道の千歳郡恵庭町、今日島松の自衛隊の演習場といわれているところに、在日米軍、それから沖繩から選抜をされた、きっと沖繩の海兵隊だろうと思いますが、それが約一個大隊、二百名ともいうし三百名ともいうこれらの諸君が、この施設を利用してスキーの基礎訓練をやり、耐寒訓練をやり、耐乏訓練をやり、さらにパラシュート